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「モテたい」が原動力。渋谷と生きた「植竹拓」の青春

2013年、惜しまれつつも休刊となった渋谷系ストリートファッション雑誌『Men’s egg』。1999年の創刊時より読者モデルとして雑誌を盛り上げ、共にギャル・ギャル男カルチャー文化を創ってきたのが植竹拓さんだ。読者モデル、DJ、経営者…変わりゆく渋谷を駆け抜けた植竹さんの人生とこれからを探る。

運命の出会い。天国と地獄の10代

-著書『渋谷(ピロム)と呼ばれた男』(鉄人社)の中で目立ちたがり屋だったと書かれていますがどんな幼少期を送られていたんですか?
植竹 そうですね。目立ちたがり屋ゆえに人の親によく怒られてました(笑)そこで空気感、距離間の取り方を学んだかもしれない。親父はどうしもようもなかったし、母親は包み込むように優しい人で、祖父母には怒られていましたが自分の両親にあまり怒られた記憶がないです。

-結構周りに影響されてこられたんでしょうか?
植竹 
やっぱり10代の環境ってすごい人格に影響されてるんじゃないかなって思います。当時はね、田舎で目立ちたいってなるともうグレるしかない。喧嘩とか好きじゃないし、痛いのも嫌だけど目立つためにはヤンキーグループに入らないといけなかった。怖い先輩とかとも付き合わないといけなくて、そこで上下関係とか礼儀を学んだ気がします。

-高校を中退、1年間社会人を経験した後、復学。2度目の高校生として過ごす中、雑誌『Cawaii』にどさくさにまぎれて掲載されたのが初めての雑誌出演ですよね?
植竹 
そうです(笑)でも、1度目の雑誌は掲載されてもあんまり反響はなくて、雑誌を持ち歩いて「俺出てんだよ」って自分から異性にアピールしていたくらい(笑)

-どかんと人気が出たのは『egg』への出演でしょうか?
植竹 
そう! 普通の日常をポラロイドで撮った写真を載せるっていう企画があったんです。そのポラロイドが雑誌に大きく載って、そこからは…すごかったですね。渋谷に行ったら女子高生から「写真撮ってください!」って、すぐ人だかりができちゃう。でもやっぱり人生うまくできてますよね。モテる分、妬みは倍返し。だから結局あまり変わらなかったかも。わーってちやほやされた1分後に「こらぁ!」ってセンター街で追いかけられたり(笑)天国と地獄みたいな感じでした。

読者モデル「ピロム」とDJの顔

-植竹さんが20歳の時、『Men’s egg』が創刊されたんですね。
植竹 
本当は、ギャル男というかチャラチャラしたのはもう卒業しなきゃかなと思っていたんです。当時は世の中的に高校卒業したらギャルも卒業という流れがあった。でも、『Men’s egg』ができたことでそういった概念がなくなった気がします。今もボディメイクしている女の子って20代後半で肌焼いてる子多いでしょ?

-いますね!雑誌で活躍されていく中でどうしてDJをやろうと思ったんですか?
植竹 
クラブにどうしても行きたいお年頃で。俺も騒いで遊びたい(笑)でも当時のクラブは今よりもイメージが悪く、彼女にも心配をかけてしまう。どうにか合法的にクラブに行けないか? と考えた結果…DJになればいいじゃん! と(笑)

-仕事で行けますもんね!(笑)かなり本格的にやられていた?
植竹 
のめり込んでやっていましたね。やるからにはちゃんとやりたい。それで、DJをやっていくうちに読者モデルの「ピロム」という名前が邪魔になったんです。「読モのDJなんて大したことないだろ」っていわれることがたくさんあった。それがすごく嫌で…。雑誌からはその時期少し距離を置いていたと思います。もう一度ちゃんと雑誌に出演しだしたのは、自分がアラパレルブランドを立ち上げてからです。


ブランド立ち上げ、独立、そして倒産

今でこそモデルがブランドを立ち上げることは多いと思いますが、植竹さんはなぜ自分でブランドを立ち上げたんですか?
植竹 
俺がちょうどDJにのめり込んでいて、雑誌と距離を置いていた時期、モデルの友達で急に羽振りがよくなった奴がいたんです。六本木の一等地でおしゃれなバーとか出店しているし、お金の羽振りも良くてモテていたし。「お前仕事何やってるんだよ?」って聞いたら「アパレル始めたんです」って。それモテるし俺でも稼げそうだしいいなと思って(笑)

-動機が、すごいですね(笑)
植竹 
いやでもね、成功してる経営者の人って絶対「モテたい」っていうのが大前提としてあると思うんですよ。

-植竹さんも?
植竹 
そう。目立ちたい、モテたい!っていうのは昔から常に。

-その思いがあっても行動する人のほうが少ないので、やっぱり植竹さんはすごい…。ブランドは最初、事業部としての立ち上げだったんですよね?
植竹 知り合いの社長さんが会社の一つの事業部として始めさせてくれたんです。でも、最初は全然売れなかった。ナメてたんですよね。DJ優先でしたし…。「結局やっても売れないじゃん」「この不良債権!」とか嫌味言われることもあって、なにクソ!って思いながら必死で勉強して徐々に売り上げを上げられるようになりました。自分たちがうまくいき出すと、今度は会社の経営が悪化してきたんです。もともとやっていた事業が伸び悩んでしまったらしく俺たちの給料も支払いが遅れ出していた。俺も読者モデルの後輩5人くらい引っ張って一緒にやっていたので、あまり不満を溜めさせたくない。よし、起業するか!と若干26歳で独立しました。

-独立されて、ご自分の仕事も増えられたんですよね?
植竹 
そうです。起業して、社長。やっぱり自分が見せたい自分でいる限りはどこもサボれなかったのでストレス溜まるし、個性が消え毎日不機嫌そうな顔をしている俺がいました。

-29歳の時に『Men’s egg』とDJを引退。
植竹 
はい。本当はDJだけを辞めたかったんです。極端な言い方をすると、悪い人脈に寄り過ぎてしまっていた。自分自身、人に言われても溜め込むタイプで言われやすい存在だったんでしょうね。自分が何もしていなくても「お前の後輩生意気だ」「後輩が挨拶しなかった」っていって呼び出されていました。「お前の責任だろう」といわれてね。夜中~早朝に着信履歴が普通に20件~30件あって呼び出されて行って話を聞いて謝って後輩を叱って…そうするともう出社の時間になっている。会社に集中したいと思ったんです。だから表舞台から去ろう、と。DJだけ辞めるのは筋が通らないから読者モデルも辞めました。

-引退された後、ファストファッションが流行りだすなど時代が変わっていき、植竹さんの会社も倒産という形で幕を下ろしました。
植竹 
2013年3月のことですね。そこから再度、這い上がって来る迄の約2年間は地獄のような日々でした。1日15時間を週5日働いている時もあって「過労死」ライン余裕で超えてましたね。でも迷惑を掛けた責任で必死に働きました。なので、2年間の記憶が曖昧なんです。

-植竹さんが若い子を支えたいと思うのはご自分の経験があったからでしょうか?
植竹 
俺、可能性を秘めているんだけども弱ってしまった奴がすげぇ好きなんです。弱ってる時に俺が連絡して出向く。だって、いい時っておだてる奴が周りにたくさんいるでしょ。今までいた奴がいなくなっていく寂しさを俺自身嫌な程経験してるから、支えてやりたい。そういう時の人って、すっげーありがたいんですよ。熱で動けない時に看病してくれる人くらい、ありがたい。


自分の価値を見つめ直す。VALUの人間味

-VALUを知ったきっかけは何だったんですか?
植竹 
石川涼さんがTwitterで呟いてたんです。俺、涼さんがやっているものってすごく注目するので、涼さんがやっているならと思って始めました。始めるとTwitterのフォロワーさんに「売り出したほうがいいですよ」っていわれて、正直仕組みとかよくわからずに売り出しました。最初は現金になるわけないじゃんって思ってたので。

-本当にお金になった時、どう感じましたか?
植竹 シンプルに、こんなに簡単にお金入っちゃっていいのかなって。と同時に、もっとちゃんと考えて始めればよかったなって思いましたね。VALUって最初のファーストインプレッションが大事だと思うので、そこが悔やまれます。俺は他のSNSもやっているけど、VALUに載せるのはなるべくインパクトのあるものにしています。

-VALUの中でとまどったことはありますか?
植竹 
うーん、実は友達同士で買ったりするのはどうなのかなぁと今は感じています。人の捉え方ひとつですけど、売るタイミングって人それぞれだから「なんで今売るの?」って思う人もいる。買ったものを自分の好きで売ろうと文句いわれる筋合いないんだけどね。自分勝手だなぁと思うし。

-そうですね。そういった機械的じゃない、人間くささがVALUの特徴の一つでもあるんです。
植竹 
そうか。本当は若い女の子とかが始めたらいいかもしれないね。俺と同年代のユーザーさんが多いし、応援したいっていう気持ちが買うことにシンプルに繋がる。

-植竹さんがこれからやりたいこと、展望とかありますか?

植竹 アパレルブランドをやっていた時の一品番だった「N.S.H」と言うリングだけ今継続してデザイン、販売をしているんです。優待でプレゼントしたこともあります。夢だけ語れるなら、リングが置いてあるお店をやりたいなと思います。でも今は一番、結婚したから子どもが欲しい。渋谷の次は家族のカリスマになりたいと(笑)今まで約40年間、青春を謳歌してきましたから。それから、俺若い子で熱量ある奴すごい好きなんです。若い子って基本、体力や元気はあるけど立場が弱いでしょう? そういう子たちに俺が20年掛けて経験した事を、1年くらいに集約して次のステージへで行けるような手助けはずっとしていきたいです。

(書き手:鎌田智春)

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株式会社VALUでは、『評価の基準を変え、お金の流れを変え、フェアな世界をつくる』というミッションのもと、“VALU”と“Fundish”という2つの挑戦的なフィンテック事業を手がけています。現在、一緒に働く仲間を募集中しています! https://valu.is/
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